コスモ・ネットレ ブログ「徒然なるままに」
2022年7月15日祇園祭
ネット取引統括部長 山形 光
3年ぶりの祇園祭。今日は宵々山。
7月17日(日)、山鉾巡行が予定されております。
岩井コスモ証券の京都支店は下京区四条通高倉。
八坂神社に向かう山鉾は上京側から巡行するので、窓からの眺めは最高です。
長刀鉾の、長刀は疫病邪悪をはらうため。
祇園祭は、疫病払いから始まりました。
なくようぐいす平安京。
延暦13(794 )年。
桓武天皇が京都に遷都。
清和天皇の貞観5(863)年。
疫病が流行。
災厄は疫病や政争に敗れた死者たちの怨霊だと考えられており、
朝廷は、早良親王(桓武天皇の同母弟。785年に起きた藤原種継暗殺事件の首謀者として捕らえられ、淡路に流され絶命。長岡京から僅か10年で平安京に遷都されたのは、早良親王の怨霊を恐れたからとも言われる。)
をはじめとした皇族や貴族など6名を祀る盛大な御霊会(ごりょうえ)を、御所の庭である神泉苑で行いました。
864年になっても疫病はさらに拡散。
2度の富士山噴火、阿蘇山噴火。
旱(ひでり)による飢饉。
その後も、
鶴見岳(大分)噴火、阿蘇山噴火。
次々と悪いことが続きます。
貞観11(869)年。
春には東北で大地震と津波、夏には都で再び疫病が広がり、
朝廷は再び、祇園社の主祭神「牛頭天王(ごずてんのう)・・疫病を支配するとされる」を祀った神輿を神泉苑に送る臨時の御霊会を行いました。
以降、御霊会が祇園社で行われることが定着し、祇園会と呼ばれるようになります。
今のような山鉾巡行が定着した時期は定かではありませんが、
御霊会は、円融天皇の天禄元(970)年からは、毎年行われるようになり
応仁の乱(1467-1477年)で京都の街は焼け野原となり、中断されましたが、
明応9(1500)年から町衆により山鉾巡行がされたそうです。
新型コロナの感染拡大により3年ぶりの山鉾巡行。
1100年以上経った2022年7月。
第7波が収まるよう祇園祭が無事に行われますことを祈ります。
コンチキチン
知らないものを怖がるのは当然のこと。