コスモ・ネットレ ブログ「徒然なるままに」
2025年8月18日古代蓮と伊奈氏と被災時の支援制度
東京ネットサポートセンター 原田
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ネットサポートセンターの原田です。
早朝、車で近くの原市沼(はらいちぬま)の古代蓮(こだいはす)を見に行きました。
見頃のピークはすでに過ぎていましたが、意外とまだ咲いている蓮も多くきれいでした。
(撮影:原田) 新幹線、在来線(埼玉新都市交通)、古代蓮古代蓮は、1971年に埼玉県行田市の焼却炉建築現場で、1,400~3,000年前の地層から発見された種を分けていただき、ボランティアの方々が栽培したものです。
蓮はインド原産ですので、1,400~3,000年前には日本に持ち込まれていたということになります。
勝手な想像ですが、仏教において蓮は重要なモチーフ(再生、清浄さ、悟りの象徴)なので、日本史に照らして「538年 仏教伝来[1,487年前]」頃持ち込まれたのかもしれませんね。
この原市沼は、徳川家康が江戸に移封されてから、約170年におよび代々関東群代を務めた伊奈氏の陣屋の一部でした。
伊奈氏はここを拠点に利根川東遷・荒川西遷を行い、川の氾濫を防ぎ、新田開発を通じ安定した農作物の大幅増産、舟運の活性化、千住大橋や両国橋の架橋工事、玉川上水開発工事など関東の発展に尽力しました。
ちなみに、埼玉県伊奈町や茨城県つくばみらい市伊奈地区の名称は、伊奈氏の功績をたたえた町名由来とのことです。
また、伊奈氏は1707年の富士山の宝永大噴火・飢饉で苦しむ人々の救済に努めました。
噴火は16日間続き、大量の火山灰を富士山東麓および江戸にまで降らせました。
被災地を抱える小田原藩では、あまりの惨状に自力での復興を早々にあきらめ、領地の6割に当たる駿東郡、足柄上郡・下郡を幕府に返上してしまいます。被災農民の訴えで米の支給を約束させますが、支給されたのはわずかなもので、たちまち飢餓に陥りました。幕府は被災地を関東郡代の支配とし、かつ、伊奈氏を酒匂川の砂除川浚い(すなよけかわざらい)奉行に任命します。※2
さまざまな対策を講じましたが支援不足だったため、伊奈氏は餓死寸前の被災者のために幕府の米蔵から1万3000俵を分け与えたと言われています。
伊奈氏は死後、被災者の尊敬を集め、伊奈神社に神格化され祀られています。
先日の7月30日にはロシアのカムチャツカ半島付近で巨大地震が観測されましたが、幸い大きな被害はありませんでした。しかし、4日後の8月3日にそのカムチャツカ半島で約600年ぶりの噴火が観測されました。
日本は火山列島。いつ地震や噴火の被害を受けるかわかりません。
被災者の生活再建への支援制度をまとめた「被災者支援に関する各種制度の概要(内閣府 令和7年6月1日)」が公表されていますので、万一に備えて目を通すのもよいと思います。※3
<追伸>
2025/9/14(日)より、ログイン時の二要素認証を段階的に必須化する予定です。
また、ご家族であっても、口座名義人ご本人様以外の操作が判明した場合は、万一経済的被害にあわれた場合でも補償の対象とならない可能性がありますので、ご自身の口座はご自身以外操作をなさらないようにご注意ください。
※1 広報かわぐち
https://www.city.kawaguchi.lg.jp/material/files/group/3/88763248.pdf
※2 <砂除川浚いはなぜ必要か?>
火山灰が降り積もると、田畑の耕作が全くできなくなります。
そして、河川に火山灰が堆積するので河床が上がります。
河床が上がると、頻繁に洪水が発生してしまいます。
しかも、火山灰が堆積していますから、洪水のたびに土石流がおき、下流域は大変な被害を受けます。
だから火山灰の取り除き(砂除川浚い)が必要となります。
※3
https://www.bousai.go.jp/taisaku/hisaisyagyousei/pdf/kakusyuseido_tsuujou.pdf