コスモ・ネットレ ブログ「徒然なるままに」
2025年4月18日北町奉行所
東京ネットサポートセンター 原田
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北町奉行といえば、「遠山の金さん」を連想する人が多いと思います。
JR東京駅日本橋口から徒歩2分のビルの谷間に北町奉行所跡の案内板はあります。※1
丸の内トラストタワーと鉄鋼ビルディングの間にひっそりとあるため、ここが奉行所跡と気づかない人が多いと思います。
(撮影:原田)
遠山金四郎は天保11年(1840)北町奉行に就任しました。
当時、深刻な財政危機に直面した老中 水野忠邦は、物価の高騰を抑える必要性に迫られ、また、アヘン戦争で清が敗れたことから外国による日本侵略に危機感を覚え、厳しい倹約令(天保の改革)を出しました。さらに水野はぜいたくしている場合じゃないとして、歌舞伎小屋の廃止や人口の増えた江戸庶民を田舎に強制的に返す人返し令を出すなど庶民の生活を脅かしていきました。その時、反対したのが金四郎でした。金四郎は改革に激しく反対し、切腹を覚悟で水野に意見したそうです。
この結果、金四郎は絶大な人気を誇ったと言われています。
桜前線は北上していますが『この金さんの桜吹雪、散らせるもんなら散らしてみろぃ』の名セリフが聞こえてきそうです。
<鬼平との住所つながり>
遠山金四郎は弘化3年(1846)「屋敷替」により遠山家下屋敷は「本所三ノ橋通」(現在の都営地下鉄菊川駅近く)へと移されました。屋敷替の相手は火附盗賊改「鬼平」こと長谷川平蔵の孫でした。※2
<大岡越前との南町奉行所つながり>
遠山金四郎は北町奉行(1840-1843)だけでなく、南町奉行(1845-1852)も務め、両町奉行を務めたのは遠山金四郎だけだそうです。
南町奉行といえば大岡越前が名奉行として知られています。
大岡越前は8代将軍徳川吉宗に抜擢されて南町奉行(1717-1736)として20年近く務め、小石川養生所の設置や町火消制度の創設などに尽力しています。時代劇で見るような裁判官的な役割ではなく、政治家としての活躍が主だったようです。
調べたところ、遠山金四郎祭というイベントは存在しませんが、大岡越前祭は神奈川県茅ケ崎市で春の祭りとして親しまれています。
今年は4月19日(土)、20日(日)に開催されます。※3
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※1 東京都千代田区丸の内1-8
丸の内トラストタワーと鉄鋼ビルディングの間にひっそりとあります。
※2 墨田区観光協会。長谷川平蔵・遠山金四郎住居跡 https://visit-sumida.jp/spot/6039/
※3 茅ケ崎市観光協会。大岡越前祭 https://www.chigasaki-kankou.org/event/echizen/