コスモ・ネットレ ブログ「徒然なるままに」
2023年12月25日ソビエト連邦崩壊
ネット取引統括部長 山形 光
今日はクリスマスだけれど、今から32年前の1991年12月25日。
ソ連の最高指導者ゴルバチョフが辞任し、同時に1922年にユーラシア大陸に建国された共和制国家「ソ連」が解体されました。
崩壊までの流れを簡単にまとめるとこうです。
1920年代半ばから、ソ連共産党の指導者スターリンの時代、ソ連は恐怖政治でした。
1952年にスターリンが死去してから党は、厳しい規制を若干緩めましたが、国民を管理下に置き、共産主義を広める活動をし、従属国に対しては厳しい統制と支配をとり続けました。さらにアメリカとの軍拡競争に多額の資金を費やすようになります。
政治や経済などの活動が停滞し、次々と政府による経済的失敗が明るみになる中、1985年3月、ミハイル・ゴルバチョフが最高指導者になり「ソ連を救済し、力を取り戻すため、ゴルバチョフは国有地の貸付けることで軍事費を削減させ、国民生活を劇的に向上させる」と宣言。
同11月には、レーガン大統領との首脳会談を行い、核兵器の制限と冷戦に乗り出します。
1986年4月26日に起きた「チェルノブイリ原子力発電所事故」では「改革・再建」が必要と考え、「グラスノスチ=情報公開」と「ペレストロイカ=改革」という政策は当時流行語にもなりました。
しかし、国内では、「グラスノスチ」は、これまで鎮圧されていた共産党に対する批判的な声が上がることになり、また、「ペレストロイカ」は、スピードが上がらず、管理されなくなった経済体制で深刻な食糧不足に陥り、ソ連に不本意に併合されていた従属国は次々に独立を求めるようになり、ロシア主体のワルシャワ条約機構に加盟するようになります。
1989年11月9日、その動きが頂点に達しベルリンの壁が崩壊。ゴルバチョフは戦車を送らず「ドイツの統一はドイツの国内の問題」と表明。
1990年にはノーベル平和賞も受賞したゴルバチョフですが、ソ連崩壊の原因は、「改革」が実現せず、国民からの信頼を失い、経済学者の提案も受け入れなかったことでゴルバチョフは少ない味方をほとんど失うことになったからだと、多くのロシア人は今でも彼のせいだと考えています。ロシアのウクライナ侵攻がスクープされてから、早2年。
私たち日本人には、理解しがたいこともありますが、理解するには歴史を知る必要があります。
そして株取引には、世界情勢を知り、正しく判断することが大切です。
年末年始、世界史の教科書を引っ張り出して、学びなおししようかな?