コスモ・ネットレ ブログ「徒然なるままに」
2023年7月 6日組屋敷だらけの茅場町
東京ネットサポートセンター
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こんにちは東京ネットサポートセンターの原田です。
江戸時代、捕物帖で有名な「八丁堀の旦那」とは、町奉行配下の与力・同心達を指します。
岩井コスモ証券東京支店のある茅場町1丁目から八丁堀にかけて、彼らの住まいである組屋敷(現在で言うところの公務員官舎)がたくさんありました。
(出所)国立国会図書館National Diet Library
http://codh.rois.ac.jp/edo-maps/iiif-curation-viewer/?curation=http://codh.rois.ac.jp/edo-maps/owariya/02/1849/ndl.json&mode=annotation&lang=ja
※不透明度を0にすると余計な印が消えます。「与力、力士に鳶の頭(とびのかしら)」。
これが「江戸の三男」と言われていたといいます。
粋で、渋くて、かっこいい。
江戸の女性たちの、憧れの男性像だったようです。これら与力・同心達が江戸の治安に活躍したのですが、屋敷地を医者や学者などに貸して家賃を得ることができたそうです。
そうした人の集まりの中から、多くの文化人を輩出したともいわれています。また、古地図を見ると、東京証券取引所は牧野河内守跡地にあり、鎧橋は橋ではなく鎧の渡しだったことがわかります。
坂本町の住所表記は兜町となりましたが、現存する坂本町公園、坂本小学校は昔の名残をとどめています。
裏茅場町という地名は何か興味をそそられますが、川を埋め立てた土地です。
伊丹や灘から運んだ酒(下り酒といわれた)の積み下ろし場所でもあったようです。
確か数年前までここに「白雪」(小西酒造)のビルがありました。時代劇で「八丁堀の旦那」という言葉は出てきますが、「茅場町の旦那」とは聞いたことがありません。不思議です...。