コスモ・ネットレ ブログ「徒然なるままに」
2023年1月20日空城の計(くうじょうのけい)
東京ネットサポートセンター 野地
こんにちは、東京ネットサポートセンターの 野地 です。
1月よりNHKの大河ドラマ「どうする家康」がスタートし、毎週楽しみに観ております。
松潤が演じるので少々格好良すぎるのではとも思いますが、タイトル通り徳川家康が主人公です。東は今川、西は織田、北は武田にはさまれた三河の松平。
松平家は、部下の裏切りに合い勢いをなくしましたが、今川の計らいで岡崎城をとりもどします。家康は岡崎城で、17歳と15歳という若夫婦の間に産まれます。しかし、母の兄が織田方についたため夫婦は離婚。実母と生き別れに。
その後、幼い家康は、今川の人質になるところでしたが織田方にとらえられ織田方で2年間、その後人質交換により今川で人質として過ごします。元服後、岡崎城へ戻りますが、そこには今川がおり本丸にも入れない不遇。そこへ桶狭間の戦いが起こり、大ピンチの中、岡崎城を取り返す家康。ここ最近の大河ドラマは主人公の子供時代からの成長を描いたものが多いですが、今回の「どうする家康」は、展開がユニークです。
家康には3度の絶体絶命があったとされますが、最大のピンチとして有名なのは「三方ヶ原(みかたがはら)の戦い」。(他の2度は三河一向一揆と神君伊賀越え)
徳川軍は武田信玄率いる武田軍に敗れ、数騎で浜松城に逃げ帰ります。
武田軍はこれを追撃。
その時、家康は、あえて大手門を開き、内と外に大かがり火をたかせました。
敗走する徳川軍を追撃し、浜松城門近くまで押し寄せてきた武田軍の山県政景・馬場信春の両隊は、大手門が大きく開かれ、かがり火がたかれているのを見て、それに警戒して攻撃をためらい、戦わずして去って行きました。
仮に襲われていたら全く勝ち目が無い状況。
家康はハッタリで絶対絶命な状態を逃れました。これを「空城の計」と言います。
兵法三十六計の第三十二計に当たる戦術。
自分の陣地に敵を招きいれることで敵の警戒心を誘い、戦をさける戦術。
さすが家康、兵法は勉強済みだったのでしょう。
所説ありますが、
浜松城に逃げ帰り、門を閉め、味方の士気を上げるために坊主の生首を槍に突き刺し「信玄 討ち取ったり」と叫びながら城内を回ったとも言われおり、味方が離散することを避けるためのハッタリが功を奏し、結局、武田軍は攻めてこず、難を逃れることができたとも言われます。「どうする家康」楽しみです。
「どうする野地」・・。皆様のピンチを救えるよう皆様の家臣がごとく頑張ります!