コスモ・ネットレ ブログ「徒然なるままに」
2024年8月21日合成の誤謬(ごうせいのごびゅう)
大阪ネットサポートセンター 東尾
皆様こんにちは。
大阪ネットサポートセンターの東尾と申します。
私は地方の田舎町で育ちました。
田舎特有の保守的な考え方かもしれませんが、幼い頃、周りの大人から「無駄遣いをしてはいけない」「貯蓄をしなければいけない」とよく言われました。
社会人になってから経済関係の本を読んでいると「個人消費はGDPの半分以上を占めており、個人消費の活性化が経済成長につながる」といったような文章を目にしました。
裏を返すと「各個人みんなが自分の将来のために貯蓄すると、自国の経済は成長しない」ということです。
ん?どういうこと?
これは「合成の誤謬(ごうせいのごびゅう)」と呼ばれるものです。
「合成の誤謬」とは「個々のレベルでのミクロの視点では合理的な行動であっても、それが合成された社会全体のマクロの世界では、必ずしも意図しない結果が生じてしまうこと」を指します。
例えば「私が貯蓄・節約に取り組むと私の資産が増えますが、国民全員が私と同じ行動を取ると、国全体の消費が減退し、ひいては国民の総所得が減ることになる」つまり「各個人が正しいと思ってとった行動が、みんなが同じ行動をとることで社会的な状況を悪化させてしまう」ということ。
「合成の誤謬」は、何十年か前に見たテレビ番組の時代劇「暴れん坊将軍」でも感じました。
江戸幕府の第8代将軍徳川吉宗は、享保の改革で質素・倹約を進めたのに対抗し、尾張藩主の徳川宗春は、積極的に消費を喚起する政策をとりました。
「暴れん坊将軍」はテレビ番組なので、かなりフィクションを交えているでしょうし、単純に考えることはできませんが、両者は何かにつけて衝突しており、テレビ番組からも吉宗の質素・倹約政策と宗春の積極財政政策の対立を見て取ることが出来ます。
「合成の誤謬」は、他にも次のようなものがあります。
・野球場で、ある一人の観客が立ち上がって試合を見ると、この観客にとっては試合がよく見えるため合理的な行動であると言えます。しかし、観客みんなが立ち上がって試合を見ると、後ろの方の観客は試合が見えなくなってしまいます。
・何かの生活物資が不足しそうだとの噂が流れたとき、後々のことを考えて買いだめしておくことは、その人にとっては合理的な行動です。しかし、みんなが買いだめしようとすれば、世の中全体では物資不足になってしまいます。
など。
「合成の誤謬」を意識しながら、自分のことだけではなく全体のことも考える必要があるのではないかと考えています。「貯蓄すべきか、消費すべきか」の選択は難しい問題ですが、ネットサポート部の一員としてお客様のことはもちろんネットサポート員、会社全体のことを考えて行動することはできる!
これからはますます、お客様のことを第一に考え、すべてのお客様に喜んでいただけるようなサポートが出来るように頑張ります。