リスク・手数料等

マーケットレポート

プロの視点からわかりやすいレポートを提供します。

コスモ・ネットレ ブログ「徒然なるままに」

2025年6月27日

さようなら、浜家ファミリー!アドベンチャーワールドのジャイアントパンダが故郷へ

大阪ネットサポートセンター 矢倉 大阪ネットサポートセンター 矢倉

  • こんにちは、大阪サポートセンターの矢倉です。

     

    明日、6月28日。和歌山アドベンチャーワールドで長年愛されてきたジャイアントパンダの「良浜(ラウヒン)」(24歳メス)、「結浜(ユイヒン)」(8歳メス)、「彩浜(サイヒン)」(6歳メス)、「楓浜(フウヒン)」(4歳メス)の全4頭が、故郷である中国四川省の成都へ返還されます。

     

    和歌山アドベンチャーワールド産まれのパンダの名前は、南紀白浜町にちなんで「浜」の字が付き、「浜家(はまけ)ファミリー」と呼ばれる彼らの歴史は、今から30年以上前の1994年に始まりました。世界初の日中共同繁殖研究がスタートし、オスの「永明(エイメイ)」とメスの「蓉浜(ヨウヒン)」がアドベンチャーワールドにやってきたのです。残念ながら永明と蓉浜との間に繁殖は叶いませんでしたが、その後来園した「梅梅(メイメイ)」とのペアで6頭、さらに永明と良浜(梅梅の子供)とのペアで7頭ものパンダが誕生するという、驚異的な繁殖実績を記録しました。


    20250627_blog.png


    「これほど繁殖結果が良いのに、なぜ帰国?」と思われるかもしれません。しかし、本年8月に現在の「パンダ保護共同プロジェクト」の契約期間が満了することを受け、気温の落ち着く6月中に帰国することになりました。良浜の高齢化や、娘パンダたちのパートナー探しといった諸事情も背景にあるようです。

     

    ちなみに、浜家ファミリーの歴史を築いた永明は、2025年1月に32年の生涯を終え、安らかな眠りにつきました。1992年9月14日北京動物園生まれの永明は、1994年にアドベンチャーワールドに来園。ジャイアントパンダの保護と繁殖に多大な貢献を果たし、日中友好の懸け橋としても重要な役割を担いました。

     

    今回の返還により、国内には上野動物園の双子「シャオシャオ」と「レイレイ」の2頭のみとなります。しかし、この2頭も2026年2月に返還予定とされており、これで日本からパンダがいなくなってしまうことになります。これは一大事です!

     

    上野動物園のパンダの歴史は、1972年の日中国交正常化を記念して日本初のジャイアントパンダ「ランラン」と「カンカン」がやってきたことから始まります。当時は一目見ようと2kmもの長蛇の列ができたそうです。上野動物園でも、これまでに6頭の繁殖実績があります。

     

    【世界のパンダ事情】

    • 野生のジャイアントパンダ:約1,864頭
    • 飼育下のジャイアントパンダ:約757頭

    【中国以外のパンダ生息地域・国】

    • アジア地域(6か所):日本(上野動物園)、韓国(エバーランド)、シンガポール(リバーワンダーズ)、台湾(台北市立動物園)、マレーシア(マレーシア国立動物園)、インドネシア(タマン・サファリ)
    • その他:中東地域1か所、オセアニア地域1か所、北米中南米地域3か所、ヨーロッパ地域8か所



    これほど中国以外にパンダがいるのは、皆さんもご存知の通り、中国が「パンダ外交」と呼ばれる取り組みを行っていたからです。1950年代から1980年代頃には、中国は友好の証としていくつかの国にパンダをプレゼントしていました。カンカン、ランランがやってきたのも、このパンダ外交の一環でした。

     

    しかし、パンダが絶滅の危機になると、単なるプレゼントではなく、パンダの保護と繁殖を目的とした形に変わっていきました。これが、和歌山アドベンチャーワールドが締結していた「パンダ保護共同プロジェクト」です。ちなみに、受け入れ側の動物園は、中国側に年間1億円以上とも言われる「共同研究費」を支払っていたとのことです(驚き!)。

     

    何としても日本からパンダがいなくなることは回避してほしいと願います。日本で生まれたパンダは返還の対象外にならないものか、と願わずにはいられません。しかし、調べてみると、海外で生まれたパンダの子供も所有権は中国にあり、一定の年齢になると中国に返還されるルールになっているとのことでした(残念)。

     

    ああ、本当に本当にお別れを言いに行きたかったな...。

     

    「そこまでなぜ?」と思われるかもしれませんが、アドベンチャーワールドのジャイアントパンダの好物である「竹」は、なんと20年前から私が住んでいる大阪府岸和田市の竹林から提供されていたのです。それを知り、余計に愛着がわいていました。